2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
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『都市民の収穫感謝礼拝』 牧師コーナー(769)
今日は収穫感謝礼拝です。都市部に生きる私たちが収穫感謝祭を農業文化の祭りとして考えてしまうなら、「収穫した農産物もない中で何を持って収穫感謝祭をささげるべきか」と疑問に思う信徒もいるかもしれません。そのため、収穫感謝祭をささげる聖書的な意味を分かち合いたいと思います。
本来、アメリカでの収穫感謝祭は、イギリスにおいて迫害されていたピューリタンたちがアメリカへ移り、様々な苦しみに耐えながら収穫した初物を持って感謝したことに由来します。その時に彼らは、自分たちを助けてくれた原住民を招いて、礼拝をささげたと言います。そして、1789年11月26日にワシントン大統領によって祝日として定められますが、1941年のアメリカの議会において11月の4週目の木曜日が収穫感謝日として指定されました。我が教会では、日本の季節に合わせて11月の2週目を収穫感謝祭としてささげています。
聖書的な意味での収穫感謝祭の由来は、出エジプトの時代に遡ります。聖書において「仮庵の祭り」、または、「収穫祭」と呼ばれているものです。これは、何が大切か、その強調点によって、表現と意味が変わります。
「仮庵の祭り」は荒野での40年の間、長い年月を仮庵に住む中で、昼には雲の柱が、夜には火の柱をもって守ってくださった結果、カナンにおいてレンガの家に住むことができたのを感謝する祭りです。過ぎた日々の、主の守りと導きに記念して感謝するのです。
そして、子どもたちと一緒に仮庵を建て、七日間を過ごしながらこの世は仮庵のような人生であることを教えます。仮庵の中で過ごしながら、空を見上げ、星を数え、祖先アブラハムに与えてくださった約束を、そして、その約束の通りに導いてくださった神様を思い浮かべます。そこに、これからの一年間、神が与えてくださる豊かな収穫を願う意味があります。つまり、未来に対する、神の供給と導きを願うことだと言えます。
私たちがささげている収穫感謝祭は、このような聖書的な意味が含まれた祭りであります。過ぎたすべての歩みが、ただ神の恵みであったことを思いつつ、感謝なことを書いていく祭りとしてささげるなら、その意味がさらに大きくなると思います。感謝はさらに新しい感謝をつくり上げ、さらなる感謝を通して神様に栄光を帰すことができます。 ですから、今回の収穫感謝祭では牧場が一緒に相談して、隣人の助けが届いていない方を助けながら、愛を分かち合う収穫感謝祭となればと思います。
本来、アメリカでの収穫感謝祭は、イギリスにおいて迫害されていたピューリタンたちがアメリカへ移り、様々な苦しみに耐えながら収穫した初物を持って感謝したことに由来します。その時に彼らは、自分たちを助けてくれた原住民を招いて、礼拝をささげたと言います。そして、1789年11月26日にワシントン大統領によって祝日として定められますが、1941年のアメリカの議会において11月の4週目の木曜日が収穫感謝日として指定されました。我が教会では、日本の季節に合わせて11月の2週目を収穫感謝祭としてささげています。
聖書的な意味での収穫感謝祭の由来は、出エジプトの時代に遡ります。聖書において「仮庵の祭り」、または、「収穫祭」と呼ばれているものです。これは、何が大切か、その強調点によって、表現と意味が変わります。
「仮庵の祭り」は荒野での40年の間、長い年月を仮庵に住む中で、昼には雲の柱が、夜には火の柱をもって守ってくださった結果、カナンにおいてレンガの家に住むことができたのを感謝する祭りです。過ぎた日々の、主の守りと導きに記念して感謝するのです。
そして、子どもたちと一緒に仮庵を建て、七日間を過ごしながらこの世は仮庵のような人生であることを教えます。仮庵の中で過ごしながら、空を見上げ、星を数え、祖先アブラハムに与えてくださった約束を、そして、その約束の通りに導いてくださった神様を思い浮かべます。そこに、これからの一年間、神が与えてくださる豊かな収穫を願う意味があります。つまり、未来に対する、神の供給と導きを願うことだと言えます。
私たちがささげている収穫感謝祭は、このような聖書的な意味が含まれた祭りであります。過ぎたすべての歩みが、ただ神の恵みであったことを思いつつ、感謝なことを書いていく祭りとしてささげるなら、その意味がさらに大きくなると思います。感謝はさらに新しい感謝をつくり上げ、さらなる感謝を通して神様に栄光を帰すことができます。 ですから、今回の収穫感謝祭では牧場が一緒に相談して、隣人の助けが届いていない方を助けながら、愛を分かち合う収穫感謝祭となればと思います。
趙 南洙師